企業人として責任ある立場にありながら、JABEEプログラム認定審査の審査長経験者でもある沼上 清さん。企業の未来を創出する技術者教育に眼差しを向け、“人材育成”について多角的に思考を重ねる沼上さんに、JABEEの意義について伺いました。
JABEEのプログラム認定は、教育の質を“見える化”する
―― 沼上さんがJABEEに関わるようになった経緯を教えてください。
本社の技術支援部署に所属していた頃、BCS(建築業協会・日本建設業連合会の前身)の設計部会から当社に「建築分野のJABEE認定審査員の候補者を推薦して欲しい」という協力要請があり、技術士を持っていた私に白羽の矢が立ちました。以来、オブザーバーを2回、審査員を3回、そして2年前より審査長を引き受けています。民間企業の現役社員である審査長は異例なことだと思います。夏休みをフルに使って自己点検書の確認作業を汗かきながらしています(笑)。そして、実地審査では、審査チームの教育経験豊富な審査員の先生方に助けられつつ、審査にあたっています。
―― 大学にとって、JABEEを受審するのはある意味手間がかかることだとも言えます。それでも大学がJABEEのプログラム認定審査を受審する意義について、どうお考えでしょうか。
当社は、建設系の国家資格に繋がる技術者教育を受けた学生を前向きに採用しています。さらに、他社に先行して、資格取得奨励金や月々の資格手当を充実させ、有資格者を優遇しています。技術士にリンクしたJABEE認定プログラムの修了生は、有利ですよね。またJABEEプログラムでは、レポートやプレゼンテーションなどが第三者の目に触れる教育内容を重視していますから、学生は「人に伝える」ことの重要性をしっかりと意識して課題や自己学習に取り組んでいる印象があります。
JABEE認定プログラムは、すなわち、先生方が丁寧な教育をされていることが“見える化”できているプログラムだという認識です。企業は、そうした教育を受けた学生を求めています。
大学の技術者教育は、革新を起こすための人材を育成するためにある
―― JABEE認定プログラムが履修生に求める能力と、会社が必要とする人材は、重なっているのでしょうか。
建設分野において研究開発が目指すべき方向性を考えますと、軸は2つあると言えます。ひとつは、建設技術そのものを深化させていくという中短期の軸。もうひとつは、先端技術や基盤技術を探索・進化させていく中長期の軸。この2つの軸を両立することが必要なんですね。後者においては、産学連携あるいは産産連携が必要であり、これはまさにJABEE認定プログラムの学習・教育目標のひとつとして掲げている「関連分野あるいは異分野に関する幅広い知識と認識」と重なります。
企業は、世の中を活性化させるため、技術革新を続けなければいけません。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは、「企業が不断のイノベーションを起こすことが、経済を変動させる。」という景気循環理論を提唱しました。高等教育機関の技術者教育は、このイノベーション、すなわち技術革新を起こすための人材を育成するためにあるとも言えます。最近では、「弱い繋がりを多く持っている人ほど、より革新的である。」という、入山章栄氏 (早稲田大学ビジネススクール 准教授)の見解も注目に値します。建築の実務で言うと、意匠設計者が、構造設計者や設備設計者、そして施工者とともに多様な価値観を統合してプロジェクトを成し遂げる、といった能力ですね。こうした専門領域を横断するデザイン能力を身につけるカリキュラムがJABEE認定プログラムの大きな特徴であり、JABEEが現場で生きる人材育成のためにある教育認定機構だと言える根拠のひとつだと考えます。
―― JABEEの修了生であることは、企業内でどのように生きてくるものでしょうか。
当社の人材育成制度では、基幹職(組織管理職)になる手前まで、社員が国家資格や公的資格を取得すると、昇格に勘案される「キャリアポイント」が付与される仕組みがあります。したがって、JABEE認定プログラムの修了生は、“技術士補”の登録をすれば、一定のキャリアポイントが付与されて、有利に昇格できることになります。
会社にとってのメリットも明快です。公共事業の入札時には、建設業法で定められている「経営事項審査」というものがあります。ここでは、企業規模や経営状況が数値化されるのですが、技術士や一級建築士の在籍社員数に応じて高い評点が加算されますから、これらの有資格者が多いほど、公共工事の落札が有利になります。このため、取得難易度の高い技術士を取得することが社内でも奨励され、JABEE認定プログラム修了生は、優遇されるのです。
―― 企業からの視点での、JABEE認定プログラムの課題を教えてください。
JABEE認定プログラムの修了生にとって、技術士と一級建築士ではメリットに差があることが気になりますね。
国土交通省が設ける「建設コンサルタント」の制度では、技術士登録者を常勤の技術管理者として設置することを義務付けていますから、土木分野では、技術士が高く評価されているのです。JABEE認定プログラムの修了生は、技術士第一次試験の合格と同等であると認められ、技術士補に登録して指導技術士の下で研鑽を積めば、第二次試験の受験に必要な実務経験が一般的な7年から4年に短縮されます。このため、土木工学系の学生にとって、JABEE認定プログラムの修了生であることは大いにメリットがあります。
一方、現時点で、建築分野では、一級建築士の資格試験に直結するアドバンテージがJABEEの制度に用意されていません。よって、建築学科の学生や教員にも企業側にも、JABEE認定プログラムのメリットが分かり難くなっているのだと思います。もし建築分野のJABEE認定プログラムの制度が、一級建築士の受験に必要な実務経験要件に相当する大学院課程のインターンシップ科目と同様になれば、建築学科の学生にとって、JABEE修了生であるメリットが生きてくることになります。そうした資格制度の改革が進むことを望んでいます。それは、事業収益につながる技術人材を確保するという企業の目標とも重なってくるので、建築分野でJABEE認定を取得する価値がかなり高まると期待できるからです。
“プログラムの独自性”と“教育の国際的同等性”を同時に目指す
―― JABEE認定プログラムを受審する大学には、どんな特徴があるとお考えですか?
JABEE設立以前の大学教育では、「これをしなければならない」というルールが特に決まっていませんでした。JABEEによって教育の質を高める一方で、大学ごとの個性がなくなってしまうのでは無いかという議論もあった様です。ところが、実際に審査する時の手応えは、ちょっと違ったんですよね。たとえば地方の国立大学などは、地域ごとに特徴あるプログラムをしっかりと設計しているという印象が強いです。地域の主軸になる技術人材を育てているという自負が教員にあるのだと思います。この形は、明治維新以前の“藩校”に近いのではないかと思います。長州、薩摩、会津などにそれぞれあった藩校では、独自の教育がなされ、優れた技術人材を輩出しました。だからこそ明治維新が成し遂げられた。この力強さを、JABEE認定プログラムにも感じます。
―― 最後に、審査員、審査長を経験された立場から、審査員になるべき人材について考えをお聞かせください。
大学には、“教育”と“研究”という2つのミッションがありますが、教育については、実は大学よりも企業の方がリアルな危機感を持っていると感じています。というのも、「どのような技術人材を採用するか」が喫緊の課題だからです。JABEEの審査員になることは、企業にとって直接のメリットはありません。けれど、さまざまな教育現場とつながることは、組織としてのダイバーシティが豊かになります。多様性を重んじることは、これからの企業経営にとって大事なコンセプトですから、もし部下が「JABEEの審査員を引き受けたい」と申し出たら、上司は大絶賛して推奨すべきだと思いますよ(笑)。また、JABEEの審査のプロセスでは、「大学をどう変えていくべきか」について、他大学の教員とともに考える機会が多々あります。したがって、これからの技術者教育を担う若手の大学教員こそ、審査員を経験すべきではないでしょうか。
JABEEの認定審査には、書類審査と実地審査があります。書類審査では、JABEEの要求事項にプログラムがどう対応しているかを確認します。実地審査では、審査員が実際に教育の現場や実績資料を確認するのですが、審査員として訪れた大学教員や企業人はここで各大学の地域色豊かな教育内容の詳細を知ることになります。そして、一見相反して見える「プログラムの独自性を尊重する」ことと「教育の国際的な同等性を担保する」ことを同時に掲げるJABEEの本質に触れることになる。これは、技術立国を支える人材にとって、大変良い勉強になります。教育と社会を繋ぐ回路と、未来への志をともに持ち合わせた人材が、審査員として数多く輩出されることを願っています。
―― 沼上さん、ありがとうございました。
(2018年7月)
沼上 清さん プロフィール
1983年早稲田大学大学院理工学研究科修士修了。同年東急建設株式会社入社、2010年技術研究所長、2014年執行役員建築本部副本部長兼務、2011年から東京都市大学客員教授。技術士(総合技術監理部門・建設部門)、一級建築士。