九州大学未来人材育成機構にて教学マネジメントを手掛ける深堀聰子教授。大学教育の制度設計や組織間連携に力を尽くすのは「10年、20年という時間軸での人材育成が必要だから。JABEEはその連携や共有のプラットフォームになり得るのでは」と話します。
各組織がそれぞれに取り組む人材育成を嚙みあわせたい
――ご自身のお仕事について教えていただけますか?
九州大学の未来人材育成機構という本部組織に勤めています。全学の教育を統括する役割を担う組織です。その中で、カリキュラムの効果検証、課題分析、改善方策の計画・実行というPDCAサイクルに取り組む学部・学科を専門的な立場から支援するのが、私の役割です。
教育や人材育成は、さまざまな組織の連携が連携して、包括的・継続的に取り組むものです。ですから、教育目標設定・教育実践・教育評価が整合していなくてはなりませんし、初等中等教育、大学入試、学士課程・修士課程・博士課程までの教育を一貫したビジョンのもとで進めていくのが効果的です。さらには、企業がその受け皿となって、そのビジョンを発展させながら人材育成を継続していくことで、各組織のエネルギーがうまく嚙み合っていきます。ところが日本の社会は、異なる組織がビジョンを共有して、それぞれの努力を逆算して整合させていくバックワードデザインが得意とは言えません。各組織がそれぞれの最適解を目指して綿密な努力を重ねても、それらが整合していなければ、積み上がっていきません。組織間の関係性を整理し、所掌や所轄を越えて連携していくための総合的な制度設計が必要だという課題意識を持って仕事に取り組んでいます。
これはJABEEのエンジニアリング人材育成の理念や課題とも重なってきますね。たとえばJABEEは日本のワシントン協定加盟機関として、日本のエンジニアが国際社会で活躍できる体制づくりに熱心に取り組んでいますが、JABEE認定制度を普及・発展させるためには、JABEE認定を受けることが、より直接的に、大学のメリットにつながる制度設計を考える必要があるかもしれません。
――深堀さんはなぜJABEEの理事をお引き受けになったのでしょうか?
人材育成の国際的動向をみると、世界はすでにアウトカム・ベースの教育への転換を果たしている、あるいは目指して取り組んでいる状況です。日本社会を開き、人口減少の中でも更に豊かさを維持・発展させていくためには、日本で教育を受けた人が世界で活躍し、世界の優秀な人材が日本で活躍できる人材育成の基盤を作っていく必要があります。JABEEはその先鞭になれると考えるからです。
大学は近年、「ディプロマ・ポリシー」、「カリキュラム・ポリシー」、「アドミッション・ポリシー」という3つのポリシーを策定して公開することを法律で義務付けられ、アウトカム・ベースの教育に転換するための制度改革を進めてきました。それによって学生の多くは、自分が大学で「何を知り、理解し、行えるようになったか」を説明できるようになってきています。しかしながら、その学生を受け止める側の企業が依然として「人物」や「学チカ(大学で何に力を入れたか)」を問い、「どういう能力が身についたか」を問題にしてくれないという不整合が起きています。大学と企業が協議して、先見性をもった人材育成のビジョンを共有しながら、協働して人材育成に取り組んでいける社会を実現できるのが理想だと思います。
JABEEを引き受けたのは、何よりもまず、自分の考えが狭くないか確認し、視野を広げるためです。さらには、大学と企業が連携して人材育成に取り組む具体的は方策について検討し、できればJABEEの皆さんとともに取り組みたいと考えたためです。JABEEは評価のプロフェッショナル集団として大学教育の質保証を行うことで企業を助け、日本の大学教育の国際通用性を高めるポテンシャルを持っています。
組織連携を果たせば長期的な視点での人材育成が可能に
――大学と企業との連携の必要性について、お考えを聞かせてください。
産学連携はこれから必須となります。東京などの大都市にいると実感しづらいですが、地方では人材不足は現実のものとなっています。2023年の『ものづくり白書』では「デジタル化、標準化による水平分業の進展」が謳われています。水平分業とは、製品の開発や製造などの各工程を異なる企業が強みを生かして協力しあうビジネスモデルのことですが、そのためには、情報の共有だけでなく、人材の共有も視野に入れた連携が本格化するはずです。人材を共有するためには、「何を知り、理解し、行えるか」が問われるはずであり、企業内研修や人事評価も、コンピテンシー・ベースに転換するはずです。これを受け、採用の場面においても「何を知り、理解し、行えるか」が問われるリクルーティングが、地方の企業から実現してくるのではないかと予見します。そうした局面において、アウトカム・ベースの大学教育の質保証を行うJABEEが提供し得る情報は、優れた人材を求める企業にとって重宝されるのではないでしょうか。JABEEにアンテナを張っておけば、採用についての有益な情報が入手できる、というインセンティブが働くことを期待しています。
大学と企業が人材育成において連携できるようになると、これまでは学士課程の4年間、修士課程を含む6年間など限られた年限でしか人材育成できなかった大学教育の世界観は変化します。リカレント教育においても大学と企業が密に連携することで、10年、20年の時間軸で人を育てられるようになるのです。その際、JABEEは組織間連携のプラットフォームとしての役割を担えるのではないでしょうか。
――人材不足解消のためには、専門ごとの大学入学希望者へ丁寧な案内まで遡って対策する必要もあるのではないでしょうか?
そうですね。女子生徒の中には、高校で物理科目を選択しなかったため、大学の進学先として工学部を選択できない場合が、特に地方ではいまだに少なくないことをご存じでしょうか?名古屋工業大学のように女性枠をつくる大学も増えていますが、大学準備教育が十分ではない場合、十分なアフターケアを提供できない限り、卒業時の質保証が十分にはできないこともわかってきています。初等中等教育のもっと早い段階からエンジニアリングの楽しさを教え、工学部を選択できる環境づくりをしなければ、女性を含む日本のエンジニアリング人材の拡充は難しいと思います。大学入試改革だけやっても、教育現場を歪めるばかりです。
各組織の連携によって、初等中等教育段階ではものづくりに興味を持つ児童生徒に探究の機会を豊かに提供し、高等教育段階では質の高いアウトカム・ベースの教育を推進し、大学卒業後には質の高いリカレント教育や企業内教育を実現する。そのビジョンを示し、連携の機会をコーディネートしていくことにJABEEの存在意義があると思います。
工学部の教育は、技術士試験の合格者を輩出するだけが目的ではありません。九大の教員にお伺いすると「考え尽くして設計されたプログラムから学生が学ぶ知識の深さや広さと、技術士の試験のための勉強で学ぶ深さや広さは、次元が違うと」と話されます。JABEE認定プログラムの修了生は、技術士の第一次試験を免除されるメリットがありますが、より多くの大学がJABEE認定を受けようと思うようになるためには、グローバルな規模における大学間の水平連携や、大学と企業との垂直連携を推進する、より実質的なメリットをさらに打ち出していく必要があるかもしれません。
大学間の水平連携・大学と企業の垂直連携によって若者の選択肢を広げる
――グローバルな競争力向上を目指すにあたり、技術者人材を育成する大学教育の役割とは何でしょうか?
エンジニアを志向する学生たちにとって、工学教育は基盤形成の役割を担っています。だからこそ、JABEEの枠組みのように「世界で活躍するにはこのレベルに到達しておくことが期待されている」ことを明示する国際標準が必要ですし、国際標準を満たすことで、国内外で学位や単位の互換性が担保される環境を整備すべきだとも考えています。日本では、高専から大学への編入などの限られたケースを除き、学生が大学間を移動することがほとんどありません。だから、カリキュラムが個別の大学に閉ざされていても、1単位が保証する学修成果がまちまちであっても、差しあたって問題はありません。結果として、学位が保証する学びの価値が同等とは言えない状況になっています。
しかし、たとえばJABEE認定校同士で「単位の相互認定」ができれば、格段に風通しがよくなります。厳しい経営状況下で教育の質を維持しようとしている大学にとって、大学間で教育リソースをシェアしながら、限られた資源を集中的に投じて、自大学の強みを伸ばすことができます。学生にとっては、特徴的な教育を展開するバラエティ豊富な複数の大学間を移動しながら、学びの選択肢を広げることができるというメリットがあります。人口減少社会の日本において、学生一人ひとりの能力を最大限に伸ばさなければならない大学は、もはやお互いに競争している場合ではありません。積極的な水平連携の方法を模索して、実現していかなければならない局面だと思うのです。
JABEEは、大学と企業の両方と直接つながれる組織です。その立場を活かし、カリキュラムの質を保証し、学生が「何を知り、理解し、行えるようになったか」という観点から学びの価値を可視化しながら、学生の希望する進路と企業の希望する採用のマッチングにおける小さな成功体験の声を拾っていくことも大事です。企業が、大学教育を通して学生が「何を知り、理解し、行えるようになっているか」を具体的に知ることができれば、大学と企業の間の対話が活性化し、教育現場で何が展開されているのかが見えれば、大学と企業の垂直連携の方法も具体化してくるはずです。
――JABEE認定プログラムをさらに普及させるためにはどんな方法があるでしょうか?
学生を育成する・評価する・処遇する、という人材育成の3段階のうち、処遇の部分に厚みをつくることが大事になってくるでしょう。大学は、学生が「何を知り、理解し、行えるようになったか」という観点から、アウトカム・ベースの教育を展開してきました。その受け皿として、企業は、同じ観点から学生を評価して、採用することが重要です。さらには、その基盤の上に継続研鑽の仕組みを構築し、人事評価などを通して処遇するサイクルを稼働させることができて初めて、アウトカム・ベース教育の取り組みが生きてきます。海外の企業が日本の学生を雇用したり、海外で研鑽を積んだエンジニアが日本で活躍したりすることも可能になります。JABEEが大学と企業の間に立って、そうした仕組みづくりに貢献していくことができれば、日本のエンジニアリング人材育成は一層発展するのではないでしょうか。
「競争力の強化」という言葉が安易に使われがちですが、国や大学が競争するのではなく、若者の一人ひとりがそれぞれの能力を最大限に伸ばし、それぞれの場所で輝ける社会をつくればよいのではないでしょうか。面白い仕事がしたい、役に立ちたい、プライベートのライフスタイルも大事にしたい、パートナーとともに働く場所も選びたい、ひとつの企業に居続けるのではなく自分がより活躍できる場へとステップアップしていきたい……そうした若者の願いを受け止め、豊かな選択肢を提供できる社会が実現できると素晴らしいと思います。そのためには組織間の水平連携・垂直連携が重要です。そうした風通しのいい社会づくりを実現していくために、JABEEは重要な役割を果たすことができるのではないかと期待しています。
――深堀教授、ありがとうございました。
(2024年8月)
深堀聰子さん プロフィール
1991年に京都大学教育学部を卒業(学士)、1993年に京都大学大学院教育学研究科博士前期課程(修士)、2000年にコロンビア大学大学院教育学研究科博士課程を修了(Ph.D.)。その後、東京大学社会科学研究所助手、京都女子大学短期大学部(講師、准教授)、国立教育政策研究所高等教育研究部(総括研究官、高等教育研究部長)を経て、2018年より九州大学教育改革推進本部(2023年に改組のため未来人材育成機構の名称変更)教授。九州大学では、同大学の教育の質保証(評価・改善支援)を担当。中央教育審議会大学分科会専門委員(2018〜2021年)、日本学術会議連携会員(2018年〜)、日本技術者教育認定機構理事(2018年〜)、福岡県公立大学評価委員会委員(2021年〜)などを歴任。